[登場人物]
八五郎 久七(八五郎の息子) こころの診療所受付嬢
★お父はん、この週末、わてちょっと出かけならんねん。法事二件ほど入ってるねんけど、頼んますわ。■えっ、そら殺生やで。★この頃お父はんの調子戻ってきたみたいやし、もう約束してしもた。■調子戻ってきたちゅうてもなぁ・・・。まあ、何とかなるか。
≪数日後≫
■安請け合いすんねやなかった。二件の法事、ボロボロやったがな。過呼吸気味で息は続かんわ、頭の中では妙な不安が渦巻いとるわ。あんなしんどい思いしたんは何十年ぶりやろ。あれ以来、毎日の檀家参りまで辛うなってしもたがな。気分は落ち着かんし、晩も眠られへんし。インデラル敗れたりか。こらぁ大ピンチや。
■中学二年の時、いきなり来よったんや、あの発作みたいな奴が。檀家さんでお勤めしてる時に。小学校の五年の時からおやじの代わりに行ってんねんさかい慣れてた筈やのに、いきなりドキドキッドキドキッしてきて、息すんのがしんどなって、声だけやのうて手まで震えやがった。あの時分はまだSAD(社会不安障害・社交不安障害)てな病名もなかったさかいに、一人で悩んだなぁ。一遍あんな目ぇに会うたら「また次もなるんとちゃうか」と思てしまうんや。予期不安ちゅうらしいけど。これが引き金になって泥沼化すんねやがな。あれの再来や。無理して法事に行くんやなかった。しもたっ。「しまったしまった島倉千代子」、言うてる場合か。ああ、もうたまらんわ。電話しょう。ちゃんとインターネットで当りは付けたぁんねん。SADの指定医、あの先生(せんせ)なら大丈夫やろ。
△へぇ、こころの診療所でおます。■八五郎ちぃまんねんけど、予約しとおまねん。明日か明後日か。△すんまへんなぁ、初診のお人は一週間先やないとお取りできまへんの。■えっ、一週間先? 殺生な。切羽詰まってまんねがな。なんとかなりまへんか。・・・あっそう、あかんの。ほなしゃあない、一週間先の一番で入れといとくなはるか。頼んまっさ。
〔補 足〕
・八五郎とSADの付き合いは、四十年以上になる。症状の出る状況が限定的だったので、大学時代も高校で教鞭をとっていた頃もそれほど困ることなく付き合いはうまくいっていた。家族でさえ八五郎がSADを抱えていることに気付いてはいなかった。ただし、これがSADの特徴でもある。
・精神安定剤のウィスキーを手放し、頼みの綱のインデラルにも見放され、八五郎は途方に暮れた。アルコールは予期不安を軽減するのに有効だったが、脳は不安信号を出すのを止めた訳ではなかった。不安信号を感じなくしていただけで、脳としてはさらに強い不安信号を送り出す方向に働いていたのだった。
・「しまったしまった島倉千代子」・・・大阪名物パチパチパンチでお馴染み島木譲二のギャグ。補足するまでもないか。
0 件のコメント:
コメントを投稿